地球家

 

災害や重大事件が

起きると

夫の笠井信輔だけでなく

私も、報道ニュースに

携わる人間として

 

家にいても

すぐに会社や現場に

駆けつけなければならない

そんな日々が

若い頃から

ずっと続きました

 

世界の歴史とともに

生きている

 

そう実感し

 

みなさまに

情報をお伝えすることが

自分の使命

 

と自らを鼓舞させることで

忙しくても

やりがいがあると

感じて生きていました

 

 

2011年3月11日

東日本大震災のあの日

 

私はテレビ東京の

ドラマ制作室にいました

何台も横並びにある

揺れるテレビを押さえながら

これは大きすぎる

とんでもないことが起きている

と実感しながら

私は家のことを

思いだしていました

 

 

本当ならば私はこの日

午後休をいただいて

中学校の次男の保護者会に

出席する

つもりでした

けれどこの日の朝

ふと

これは午後休をとってまで

学校に行かなくてもいいな

と、なぜか思い

笠井のお母様である

おばあちゃまに

 

すみませんが

今日の午後の

中学校の保護者会に

私の代わりに

出席していただけませんか?

 

と連絡

おばあちゃまに

快諾をいただいていました

 

この采配で我が家の息子たちは

どうなったか…

 

小学1年生だった三男の

小学校が休日だったため

そもそも、おばあちゃまに

我が家にきて

三男と過ごしていただく

予定でしたが

 

おばあちゃまが午後

中学校に行くことになったため

 

おばあちゃまのいない

午後からは

三男のお世話などのために

長男に

 

午後の部活動はお休みして

帰宅して家にいて欲しい

 

とお願い

 

長男は、仕方なく

午後早々に帰宅

 

次男も、保護者会の始まる

午後に帰宅

 

…ということになり

3人の息子たちは

全員我が家にいられる

状態になったのでした

 

長男の高校は

我が家から遠い場所

にありましたので

長男が家にいたことは

助かりました

 

 

24時間休みなく

現状を放送し続けなければ

ならない緊急事態には

全てのテレビ局員が

向き合うことになりました

その日は、私も

会社から

帰宅できなくなったため

 

この夜はおばあちゃまが

我が家の3人の息子たちを

守ってくれました

 

子どもたちが下校できず

遠方まで車でお迎えに行ったり

連絡が取れず心配された保護者も

多かったようですが

うちは、両親がこの地震によって

働いていて、家にも帰れない

お迎えにはいけなかったので、

家に全員がいてくれたことは

奇跡のようなことでした

 

我が家は

余震に震える三男を励まし

倒れたものをさっさと

直していくたのもしい長男と

笑顔を絶やさないおばあちゃま

によって

救われました

 

親がそばにいないことには

慣れている3人ですが

この日のおばあちゃまは

百万人力

でした

 

 

 

一方で父親である

笠井信輔は…

 

六本木ヒルズでの

トークショー中に

この地震に遭遇

 

ヒルズの最上階から急ぎ

地上に降りると…

 

そのまま東北へ

行ってしまったのでした

 

 

そして長い期間

東京に帰ることは

ありませんでした

 

 

あの日以来

我が家のおとーさんは

我が家のみんなよりも

東北の人を思う人になりました

そう見えました

そう感じました

 

この年の夏休みも

家族と一緒に過ごすことは

一切無く

家に籠って本を書き上げ

全額を震災復興に寄付をしたいと

言い出しました

一部を寄付する方が

手続きが簡単なのですが

全額を寄付する

という気持ちは変わらず

大変な手続きも乗り越えて

今でも本の売り上げはすべて

寄付をさせていただいています

 

 

 

 

家族との時間を捨てて

被災地に寄り添い続ける

その姿に

 

我が家のことも

ちらっとでも振り向いて欲しい

 

と思うこともありました

 

私はたまたま

ジャーナリストの端くれ

 

だから

 

その場限りではなく

そこにいる人たちとは

その瞬間を撮影し

取材させてもらうだけではなく

その人たちとのご縁も

大事にしたい

 

その気持ちを理解できるので

私は大きな声は

あげませんでしたが

…(笑)

事件、事故、イベント…

いろいろな場面で

仕事で関わった方々とのご縁は

私も、とても大事にしているので

理解できるのです

 

しかし!

振り返ると

普通のご家庭でしたら

 

離婚させていただきます!

 

と言うレベルの

家族阻害感でした

ホントです

 

 

ある日

息子のうちの誰かが

 

おとーさんは

ぼくたちよりも

東北の子どもたちの方が

大事だもんね

 

と、少し笑って

言ったことがありました

 

 

あの日

家族は捨てられた

と思った

 

という記憶は

貴重な笑い話として

心にとっておこうと思います

 

なぜならば

その後、東北のみなさんは

笠井信輔が悪性リンパ腫と

闘っているときに

我が家の家族以上に

笠井に寄り添って

励ましてくださったからです

 

私たち家族では伝えられない

大きな励まし

負けてはいけない

と言う想い

を、笠井に

与えてくださったのです

 

 

思うのです

地球上にいる人間はすべて

地球という船に乗った

地球家のみなさん

なのだということを…

 

あの日

私たち家族は捨てられた

のではなく

 

おとーさんは

家族である

東北のみなさんのために

過ごしただけなのだと…

 

 

 

今年も311を迎えます

 

 

笠井は

東北にいます

 

けれど

 

私たち家族は

捨てられたわけではありません

 

 

家族の1人(猫)、アーニャ

猫じゃらしで遊びながらも

心配そうにお見送りしていました

 

ウクライナ情勢を見ながら

今の私は地球家のみなさんのご無事を

祈ることしかできません

そして

現地や周辺で取材している

みなさん、気をつけて無事にそれぞれの国に

帰れますように!